パラピリオの森に見た、アートと建築の幸福な関係

CLASSROOM Magにてコラム「惑生探査記」を連載中の嵯峨実果子さんが、舞鶴市の「赤れんが配水池」のために小説を書き下ろし、それをもとに創作・構成された、オブジェ、絵画、映像作品によるグループ展・赤れんが配水池特別展覧会「パラピリオの森」が昨年秋に開催されました。その様子を本サイトでもお伝えします。
建築やまちづくりにまつわる書籍編集や広報物の企画制作を手がける建築ライターの平塚桂さんに、「赤れんが配水池」の建築的特徴と、展覧会との関わりについて、ご寄稿いただきました。

赤れんがの建築にはたくさん出会ってきたが、舞鶴の「赤れんが配水池」は、そのどれとも違っていた。おそらくその建物が人のためにつくられたものではないからだろう。

舞鶴には、海軍の舞鶴鎮守府開設に伴って明治時代に建設された赤れんがの建物が数多く存在する。赤れんが配水池もまた軍港を整備するために生まれた施設のひとつだ。ここは1901年、海軍の飲料水を確保するための配水池として建てられた。終戦後は市の水道施設として活用され、1965年まで稼働した。建物の下半分は地中に埋設され、窓は小さな明かり取りしかなく中は暗い。内部に個室はなく、かわりに27.2m×20.25mの大空間が5列の導水壁で交互に区切られ、腸のように蛇行する水路が形成されている。水圧を考慮したためか、壁は3段階で厚みを変え、上にいくほど薄くなる。水をなめらかに流すためだろうか、端はアールを描いている。建物の構造すべてが水のための原理でできているので日頃目にしている建物に比べるとかなり堅牢で、形も特殊だ。年月を経たことによる素材の風化や環境に由来する湿気や空気の冷たさも相まって、神秘的な気配を宿している。

展覧会「パラピリオの森」は、この赤れんが配水池を会場に開催されたグループ展だ。参加作家は舞台映像デザイナーの山田晋平、映像作家・現代美術家の斉藤幹男、美術家のスサイタカコ、ダンサー・ゴーストライターの増田美佳の4人である。うまく展覧会を成立させるには難しい枠組みだ。まずこのような空間そのものに力がある場所では、作品の内容や設置の仕方次第では建築に作品が負けてしまいかねない。さらに複数の作家が参加するグループ展では、展示全体の統一感が失われ、散漫になりがちだ。だがここでは展覧会を1つにまとめ、質を高めるための工夫が施され、空間と作品が融合した見ごたえのある展覧会へと結実されていた。

展示構成の工夫は2つある。1つは“小説”を用意したこと。それは嵯峨実果子(ゴーストライターは出品作家のひとりである増田美佳)が書き下ろした、赤れんが配水池を舞台とするストーリーだ。内容は、ここに迷い込んだ植物分類学者のカガ博士が、菌類が特殊な進化を遂げたような奇妙な生物たちに出会い、やがてその不思議な生命体へと没入していくというもの。会場ではその小説に沿って作品が設えられ、来場客は入り口で手渡された小説を片手に、展示へと入り込んでいく。この小説の存在は、複数の作家をまとめ、場所と作品を結びつけることにも大きく役立っている。展覧会と小説を掛け合わせるという発想はとてもユニークだが、偶然にも共通する手法は意外なところで実践されている。アメリカのショッピングモール開発だ。そこではディベロッパーや建築家、施工会社、テナントといったたくさんの関係者がイメージを共有できるように、顧客を主人公とする架空のストーリーを用意してプロジェクトを進めることがあるという。収支にシビアなビジネスの最前線でも活用されているというのは、小説が複数の人々をまとめてひとつの場を構築するための強力なツールとなることの証だろう。

もう1つは時間軸を意識したことだ。展示全体をディレクションした山田晋平は、45分で赤れんが配水池の通路を1往復するという時間軸を設定し、その中でシーンをどう展開させていくかを考えたという。時間軸から展示を構成していくことは、この場所に適した方法だ。赤れんが配水池はフランク・ロイド・ライトが設計したグッゲンハイム美術館のスパイラル状の展示空間とも共通する、リニアな構成を持っている。展示を観る順序に対して空間的な強制が働くので、その時間軸がぶれることはない。まず来場客は、赤れんが配水池の歴史や構造が解説された短い映像を観る。来場客は、この場所の背景を踏まえた上で展示に向き合うことになる。そこから先は通路が折れ曲がるごとに、異なるシーンへと切り替わる。スサイタカコによる、カガ博士が出会った不思議な生物たちを思わせる作品と、斉藤幹男の映像作品が融合したインスタレーション。増田美佳の繊細なドローイングと山田晋平による虫眼鏡を使った演出をかけ合わせた作品。いずれもサイトスペシフィックな、赤れんが配水池に足を運んでこそ楽しめる作品ばかりだ。最後は小説内で博士が行った“水を汲む”という行為を来場客も体験し、そして建物の外に出てあらためて港湾の風景を眺めることで水をめぐる営みに思いを馳せ、展示体験は完結する。

なぜこのような濃密な展覧会ができたのか。そのプロセスも興味深い。たとえば展覧会の3ヶ月前には、現地で数日間の合宿が行われた。当時海外でアーティスト・イン・レジデンスを行っていた斉藤をのぞく全員が参加し、展示計画を構想。小説もこのときに書かれた。そして展覧会を主催した一般社団法人torindoの豊平豪が赤れんが配水池の歴史背景をリサーチし作品に背骨を通すという、演劇の世界でいうドラマツルギーのような役割を果たしたという。

◯◯トリエンナーレといった名を冠する、地方の、美術館の外で行われるアートの展覧会では、来場客は外からきたアートファンが中心となる。だがここでは来場客の8割方は舞鶴市民が占めているという。特に目立っていたのは家族連れだ。子供たちが作品を楽しんでいる様子も、その様子を写真におさめる大人たちの姿も微笑ましく、そのふるまいが作品や空間をより豊かな風景へと変えていた。展覧会が地域になじんでいた要因としては、赤れんが配水池などを活用して2009年度から継続され、2012年からはtorindoが引き継いでいるアートプロジェクト、まいづるRBの活動が根付いていることもかなり大きいようだ。しかし重厚な建造物での骨太な展示を地元の家族連れが自然に楽しんでいるというのは、軍事的な事情から整備された赤れんがの施設が日常に溶け込んだ舞鶴の土地柄あっての現象でもあるのではないか。“アートと建築の関係”という使い古された言い回しがここで起きていた状況にふさわしいのかはわからないのだが、舞鶴のこの場所だからこそ生まれたと思われるアートと建築の幸福な関係に、私は新鮮な感動を覚えたのだ。