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Column / 惑生探査記

そこら辺の春の息吹を血肉にする方法 1

そこら辺の春の息吹を血肉にする方法
桜が散って花びらの行方が気になっているのに消息をつかめないまま、見上げると緑に衣替えした木はいよいよ色濃く、足下の植物も騒々しくなってくる。その頃になると毎日自転車で走りながら活気付いた道端の草々に気を取られて電柱に激突しそうになっている。家に帰る道すがら晩ご飯のみそ汁に入れる青味を調達して帰るためだった。
住んでいるところは山里でもない普通の街なので、食べられる野草の本に載っているような山菜は見あたらない。調達するのはもっぱらそこら辺に生えているただの草。交通量の多い道路脇や犬の散歩コースは避け、空き地や公園の隅などを探す。
早速やってみようと思ってしまった人にも間違いなく見つけられるのはカラスノエンドウ。小さいサヤエンドウみたいな豆をつけるあの草。豆でなく伸びた蔓の若いところを摘む。豆のサヤの部分はごく未成熟な薄いものでない限り食べられそうな見かけによらず、しっかり茹でても筋張って、飲み込む機会は永久に訪れない。育った中の豆は食べられるけれど、豆ご飯にする量を集めるのは気が遠くなる。豆ご飯はおとなしくウスイエンドウで炊く方がいい。みそ汁の青味に足りる片手分の若芽ならそれほど時間もかからず摘める。もうひとつすぐに見つかるのはハルジオン。これも若い芽を摘む。春菊に似たかおりがある。取ってきた草を調理するときはさっと茹で10分ほど水にさらす。ハルジオンの蕾をたくさん摘めたら、茹でたあと荒く刻んで少量の酢と砂糖、みそで和えるとごはんのお供に。
花芽には見るからに植物の全力が注ぎ込まれている。まともな養分もないような砂地の上に育つ自生の勢い。それをもらう。作物として育てられたのではないそこら辺に勝手に生えているものを私の勝手で食う。他の生力を奪って食べることは本来野蛮でいかがわしい。日々に追われて忘れがちだけれど、体はどうしてもそのことにつなぎとめられているのだと、みそ汁をすすりながら思う春の夜。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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