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Column / 惑生探査記

トレーシングペーパー ≒ 2

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先週離婚のことについて書いたらいくつかの反応を受け取ったりした。
もちろんあそこに書いていることを読んでいくほど淡々と別れたのではないし、結論に至るまでに夫婦をやり直すために持てる愛情を全弾投げて試みた時期が当然あった。私に備わる全機能を駆使し、体も言葉も尽くしたし、みじめな思いもした。言いたくないことを散々口にした。水すましのようにすいと泳いで落ち着きのいい結論にたどり着いたのではない。人から見れば美談のようにも取れるであろう考えに至るその裏には、そう考えるしかなかった道筋と理由があった。
私は誰に押し付けられたのでもなく一緒にいたいというお互いのわがままで結婚という制度にのった。漢字にした方がわかりやすい我が儘、のはてに皆さんの前でそう宣言したくなって、結婚するということにして、そういう約束をしたのだ。安定した生活とか円満な家庭を築くよりもまず自分たちのやりたいことをやって生きたかった。それをお互いに許すパートナーとしてこの人といればなんとかなると。だからしたいことがあったらそれはすべきであることは確かだった。
私はただ私のわがままで信じて傍にいたかった。けれど自由な心のありようでは相手といられなくなったとき、何かを許せなくなって相手に制限を要求せざるを得なくなったとき、同時に私は同じくらい相手に対してそれをしたくない。その上で一緒にいるというのがいやなのだ。だったら何も制限しなければいい、そうして何事もなかったように日々を続行すればいい。そのうち心は静まってもとのようになるたかがこんなの大したことじゃない。どうしてもそう考えることができなかった。どうしても耐えるという意識を持たずにいることができない。この耐えなければいけないということは、日常生活にある相手へのちょっとした不平不満をがまんするのとは質が違う。相手が思わぬ病気や事故で得てしまった困難を一緒に耐えることも違う。それは申し訳ないけれど飲み込んで今後も一緒にいてくれと鉛を渡されることで、その重さは引き受けるということなのだろうけれど、私はそうやって自分の重量が増すことが耐えられないし、鉛を消化する酵素も持っていない。
鉛を飲んでもそれに慣れたら、耐えたことをよかったと思えるようになる、平穏無事はやはり幸せと考えるようになる、今までよりよくなったかも知れないとも思えるようになる、私にはこの人しかいなかった。それを真実として生きる方法もある。けれどそれを取るなら知らぬまに設置されている、ものわかりのよいできた妻、の像に自分をあてはめてその型の内に納得しようとしていないか入念に自分の心を探る必要がある。

私にはいやなものはいやだと言って聞かないものがあった。いちばん自分が自由に躍る方向に行きたい、体に閉じ込められているのは耐えられない、というものが私の中にはずっとある。
相手がしたいことをして、そのありようを耐えずにいるためには物理的に離れるしかなかった。
したいことはすべきで、何も耐える必要はない。
それがしたくなかった相手に対する制限と疑念に血眼になってなんにも見えなくなった視界の先に見つけた答えだった。こういうことを言い出すと、結婚なんてすべきでないとか言い出しそうだけれど、そうは思っていない。友達がそれを決めたらいつでも心から祝う。一生一緒にいてもいいと思える相手に出会えたことはすばらしいに違いない。結婚は制度だけれど、制度のすべてを枷だと思い込む必要もないし、結婚を契機に腹を据えてやり遂げられることもきっとたくさんある。

結婚した相手は表現活動にたずさわる戦友でもあったから、生活の時間以外にも共有する場があった。同じものを見ても話せば思考は倍動かされたし考え方にも影響を受け、私には見通せない距離から物事や人間を俯瞰して作品を導けることに尊敬があった。創作に関することを邪魔立てしたくなかったので細かいことには口を出さなかった。私はある部分夫婦でいることを守るよりそれを優先してしまっていた。
好きになる相手はいつも何かに突出した感覚を持っていて、まずどうにか同じフィールドに立てて、話したり影響し合ったりするに敵う相手になりたくなる。先立つのはそういう感情で、そうじゃない恋愛の仕方はよく知らない。自分を変容させるまでに欲望を掻き立てられて、何かをできるようになってしまったり、何かを作り出したりしてしまうようなことが私にとって人を好きになることだった。そういうことと恋愛をはっきり分けることができない。

年を重ねるにつれて人に慣れてましになってきたけれど、人全般に対して根拠のない生来的な苦手があった。距離を縮めることがうまくできないし触ることも触られることも難しい。若い頃はその性質に足を取られて水面下で悩んだけれど初期設定なんだからもう仕方ないと思って生きてきた。だから触れ得た人というのは、誰にとっても特別であるに違いないけれど、やはり特別で、芯からいとしいものだし、情欲も強いという意味で体に対して泥臭く欲深い。何が起こってもさらっと受け流せる質の女では資質としてもまったくなかった。

したいことはすべきで、何も耐える必要はない。
やりたいことをやって、好きなように好きな人と望むようにあるべきだ。
私は好きな人とただわがままで一緒にいたい。このことを諦めたり耐えたりすることができない。けれど相手を紐で結わえておくことも、接着剤で頭を固めておくこともしたくない。それをするくらいなら一緒にいない方がいいと思っている。このふたつのあいだには矛盾が横たわっている。わかっている、これもただのワガママだ。けれど私はそれを通して生きることだけは決めた。
ワガママついでに布団を体温で温めてもらいたい、首の辺のにおいを嗅ぎたい、喉仏をなめたい、肌に触りたい、セックスしたい、傍で眠って目覚めたい、9時よりはやくに起きたくない、おいしいものや普通の食パンを食べたい、マーガリンがなくなったら次からはバターにしたい、朝コーヒーを淹れてほしい、夕食後はお茶を淹れます、トイレットペーパーが補充されている、映画館や劇場に行きたい、見たものがつまらなかったら口なおしにおいしいものを食べ、おもしろかったら安酒でそのことを肴に盛り上がり、あるいは打ちのめされて無言で、ハーゲンダッツを買って帰る、私がいるということで私を忘れて集中すべき仕事に向かってほしい、私もそのようにありたい、書きたい、描きたい、踊りたい、街のにおいも山のにおいも海のにおいも嗅ぎたい、本も読みたい、ばらが咲くのを見ていたい、五感を使い尽くしたい、いろんなことを知りたい、生きてしまっていることをずっと、かんがえ続けたい、もっと、全部のことを、やりたい、
人を好きになることが生む動力を信じているし、最大限生きるために私はそれを必要とする。手前勝手な理想だろうか。そうかも知れない。けれど知らない。知るか。私はわがままにしか人を愛せない。

この惑生探査記は日々の徒然をつづる穏やかなコラムだったのに、避けていた私という語を連発し、愛と言いだしている。
探査機がこっちに向かってくる。あんまり近くにこないでほしい。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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