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Column/惑生探訪記

温泉旅館 常盤「女将劇場」

tokiwa

先日山口県を訪れた。山口在住の友人から山口に来たらば是非とも観るべきと勧められたものがある。女将劇場。湯田温泉街の中にある「西の雅 常盤」という旅館の女将によるショウが毎夜上演されているという。湯田温泉の別の宿をとっていたけれど、宿泊客でなくても入れるそうなので観に行ってみた。
開演は20時45分からで15分前くらいに旅館のロビーに着いた。売店には女将パッケージのオリジナル土産菓子、女将考案のグッズなども売られていたが、銘菓山焼きだんごを買って食べながら開演を待った。
劇場は数百人規模の広い宴会場で、模様入りのカーペットに藤のようなシャンデリアがたれ下がり、いわゆる劇場というわけでない。舞台は平台を並べて仮設されている。舞台両袖には幕などもないので、これからショウで使われるらしい大道具小道具、衣装の類がかなり雑然とした状態でセッティングされているのがすべて丸見えになっている。開演が近づくとさっきだんごを買った売店でレジを打っていたおばちゃんがスピーカーのボリュームや琴の弦の具合をチェックしにやってきた。どうやら音響、照明もすべて旅館の従業員によって行われるらしかった。ロビーにはそれほど人もいないので観客がどれくらい来るのだろうと思っていたら、浴衣姿の宿泊客がぞろぞろあらわれ、いつの間にか客席は賑やかになっていた。

開演時間になり、着物をアレンジしたコスチュームに年季の入った白い羽を背負い、さらに電飾のマントを羽織ったボブカットの女将が現れた。カセットデッキの音源からくぐもったポールモーリア、オリーブの首飾りが流れ出す。呆気にとられている間に音楽は一つの芸が終わったら無造作に停止ボタンで止められ、続いてマイケルジャクソンなどが流れ出し、ショウというには雑な手つきに観客は苦笑する。そこから先は何が起こったのか逐一覚えていられない。息つく間もなく次から次へと踊り、琴、ハンドベル、手品、変面、太鼓、水芸、一発芸、浮遊、イリュージョンのようなもの。とにかく宴会芸的な芸の数々が節操なく繰り広げられる。下品になりすぎない程よい品のなさが終始キープされている。女将からはどことなくいろいろなお稽古事や躾を通ってきた素地が垣間見え、品のなさはその反動というか崩す、逸脱という感覚の上にあるように思われた。繰り出される芸には既視感があって、昔テレビでよく見かけたマジックの特集番組や引田天功や隠し芸大会、24時間テレビなど、ブラウン管越しに見ていた世界がごった煮になってリバイバルされているようでもあった。けれどお手本通りうまくやる事は目指されていない。芸は上演時間を稼働させる燃料のように次々と容赦なく焼べられてゆく。

女将は74歳で女将劇場を20歳の時にはじめ、休んだのは年末年始と出産のときのみという。現在持ち芸は90近く、演目は日替わりで上演される。女将劇場には劇団員というのか、大学生くらいの男女が6人くらい出演していて、太鼓の演奏やマジックのアシスタントをしている。彼らの桴さばきを見るにきちんと稽古をしていることが窺える。
マジックなどはやる前からもうタネが見えていたり、半分失敗したりするけれど、そういうクオリティは何ら問題にならない。女将は絶妙なタイミングで矢継ぎ早に芸を繰り出すことで有無を言わせぬ独自のテンポを作り出し、観客を80分間引き連れていく。そこには半世紀以上毎日のように舞台に立ってきた手練れのみがなせる技を感じざるを得なかった。観客の方も織り込み済みの設えの雑さから、どうやら精度に感嘆するものではないらしい前提を早々に受け取り、女将の勢いによって人力稼働する時間に温泉と酒で弛まった身を任せてしまえるのだった。
なぜこれをするのか、どういう意味があるのか、といった問いを受け付けない勢い。やりたいからやるのだ。女将通常業務だけでは収まりきらなかった生体にあり余るエネルギーの生粋を女将劇場に来れば目の当たりにできる。湯田温泉に沸いているのは温泉だけではないのだった。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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