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Column/惑生探訪記

クエイ兄弟 ファントムミュージアム展

Quay

「より秘密の多い、より伝え難い、もうひとつの秩序」 
人は誰でも人生のある地点で、その後の自分を方向付けてしまうような力を持った物事にいくつか出くわすけれど、私にとってそのひとつに数えられるのは、クエイ兄弟のアニメーション作品だった。高校生の頃、レンタルビデオ屋のミニシアター系の棚で「ストリートオブクロコダイル」や「ベンヤメンタ学院」を見つけ、パッケージに惹かれて借りたのがきっかけだった。ストーリーはよくわからないけれど、ものや人形の動きそれ自体に感覚がざわつき、意味よりも先に掴まれた。1秒の動きを作るために24コマの撮影が必要で、3分の動画を作るのにも数時間かかる、というその膨大な手作業によって編まれた時間の密度だけでなく、作り込まれた世界の夜の深度に魅せられた。それは天体の動きによって規則的に訪れる夜でなく、不確かなものを見るために望まれ、呼び込まれた夜だった。そんな暗がりと密度の蜜に惹かれて、私は大学の進路を映像舞台芸術学科というところに決めてしまったのだった。

今回の展覧会はクエイ兄弟のこれまでの仕事を網羅した内容で、生きているうちに一挙に見ることはもうないだろうと、人生の途上に燦然とあったものを確認する気持ちで愛知県岡崎市まで出かけた。会場の岡崎市美術博物館は東岡崎駅から1時間に2本くらいしか来ないバスで30分かかるので、県外から来た車を持たない者にとっては遠い。市街地を抜けたところの森林公園内にある美術博物館はガラスの箱のような建築で、五月晴れの正午を反射していた。

クエイ兄弟は一卵性双生児でフィラデルフィア出身、つまりアメリカが祖国だったというのは今回プロフィールを見るまで知らなかったけれど、出身と作風がこんなにも結びつかないこともあまりないように思う。地元の美大からロンドンの美大に進学し、専攻はイラストレーションでその頃からアニメーション映画の製作を始めている。在学中にポーランドのポスター芸術展を見たことが決定的な衝撃となって、そこから東欧の美術、文学、音楽、舞台芸術に関心を寄せていったという。当然チェコアニメーションの巨匠ヤン・シュヴァンクマイエルからも多大な影響を受けている。東欧で演劇なら、私が最も心寄せた演劇のひとつ、ポーランドのタデウシュ・カントルの作品も見たかも知れない。

展示はクエイ兄弟が大学時代に描いたドローイング、コラージュから始まる。描画は細密で、鉛筆や銅版によるものが多く、カフカやヤナーチェクの音楽から題材を取ったもの、学校の課題だったのか架空の装丁やポスターの作品、ふたりを震撼させたというポーランドのポスターも数点並ぶ。幻想的でありながら人の脳髄の奥に触れて覚醒させるようなモノクロの作風は、既にそれより後の作品へ繋がる夜の予感を十分に孕んでいた。

「現実を真に把握するには、法則によるのではなく、その法則の例外によるということ。そして、この周辺の立ち位置が、いかに不完全であっても僕たちの立ち位置なのです。」
僕たち、とあるので、ああふたりなのだ、ということを改めて思う。今回の展覧会図録に「虚実皮膜の間」というテキストを寄せている水沢勉氏は「画面には、具体的には「四つの目」と「四つの手」が関わっている」「二人が、その通常よりも二倍の、いうならば「二重化」された、まなざしの力で、そのイメージを動く映像へと「アニメイトする(生気づける)」ことを選んだのがロンドンの地であったことも暗示的であろう」と指摘する。1980年代以降、映像表現に関してもっとも実験的であり、同時に保守的で伝統を重んじるロンドンという都市がおのずと二人のまなざしのさらなる「多重化」を促したはずだと書いている。ふたりがどのように製作を分担しているのかは、はっきり明かされなったらしい。見た目にはそっくりな一卵性でも思考には当然相反する部分もあるだろう。異なる文化圏に精神と思想の故郷を見いだした四つの目と手は、交錯しながら時間を編み上げ、特異な密度の模様を仕立て上げた。

今回の展示では、室内装飾、舞台装置の意味をもつ「デコール」と題された箱の中にこれまでに製作されたアニメーションのシーンのセットが再現展示されていて、かなり近くでディテールを見ることができた。「ストリートオブクロコダイル」で印象的な仕立て屋のシーンのデコールもあった。店内にはあの頭が空っぽの3人(そう書くと無知をバカにしているようだが、実際そういう形態をしている)がいて、店主はテーブルに型紙を広げている。アニメーションでは型紙の下に突如レバーのような肉塊が出現する。数十年経っても妙な生々しさが鮮明に残っている。レンズを覗き込むように見る作品もあって、覗いて見ると「失われた解剖模型のリハーサル」に出てきた額のできものをずっとくりくり触っている奴が向こう側にいてはッとした。デコールはどれも人形、衣装、室内装飾の経年具合に至るまで細やかに作り込まれている。緻密なディテールの中に虚が実の境目を踏み越えて人を動かすことへの確信が宿っているのが見え、そのことが既にアニメイトであり、実際に動かされるより前にデコールの中に胎動を感じる。
その他近年のクエイ兄弟は、舞台美術やミュージックビデオ、テレビコマーシャルの仕事も多く手掛けている。コマーシャルだと、ニコン、コカコーラ、ケロッグ、薬物乱用防止など。気になったのは、モンサントの除草剤ラウンドアップのCMも製作していて、展示では静止画のみだったので動画を探して見た。クエイ兄弟の仕事だと思えないようなカラーアニメーションで、トマト畑のそばに咲く喋るタンポポが死んでいく映像だった。なぜ引き受けたのかが何より気になった。

今では検索すれば動画で全編見られる「ストリートオブクロコダイル」を改めて見直した。作られた一瞬一瞬が連続し、動きは必然性を帯びて立ち上がってくる。まるで振付の作業のようにも思えた。そうやって生み出された動きそのものに宿る強度は、モノや人形というそれ自体意思を持たず、動くはずのないものがあたかも生きているように動いている、という魔術的な側面にある程度起因するものなのかも知れないけれど、それだけではなく、クエイ兄弟のアニメーションに宿る引力は「より秘密の多い、より伝え難い、もうひとつの秩序」に対して開かれ、不明瞭なものを探る動きに軸足が置かれている。そうやって命を与えられたものは、呼び込まれた夜のなかでいつまでも人々の目の裏を擦り続けるだろう。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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