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Column / 惑生探査記

周辺視野

syuhenshiya

いま私が座っている六畳の部屋の目の前にあるものはノートパソコンの画面で、ワードの白紙にこう、打った文字が、並んでいく、のを、見ている。その向こうにぼやけているのは押入れで、焦点を画面からそっちへうつす。引き手のところを中心に20センチくらいの紺の帯模様が入ったこれぞ襖らしい襖が入っている。これは紺引手帯と呼ばれる柄で、紺の帯がよく触れる引手のところに重なって汚れが目立たないよう考えられたデザインだと襖のことを調べていて知った。4枚の襖のうちのいちばん右だけ破れている。猫にやられた。それを自力で張り替えられないかと同じ襖紙を探していた。けれどパソコンをひらいた当初の目的は襖紙を検索するのではなくてこのコラムを書くことだった。このコラムは週1ペースで書いている。1週間は7日ありその間にはどんな日々でも、特に何もないにしても何かはあったはずで、なのに書くことの糸口をつかめないことがある。今週は特にそうで、それにしたって仔細に日常を見つめれば何かあるに違いないと前向き方向にギアを入れたら、目の前の襖について3枚ほど書けたけれどなんか違う気がして別名で保存した。

ここから先はその翌日、四条大橋のたもとにあるドトールの2階から橋を渡る人を眺めながら書いている。何を書くのかまだ決まらない。書き甲斐や書きごたえのある題材というものが、自然と自分のうちに起こってくるならいいけれど、そういうものを欲しくなると書くこと自体より書くネタに振り回される。エピソードとして強いものを扱うときに動員する言葉の並びには安心感と依存したくなるところがあって、用心しないといけないと思う。そこばかりに気を取られると言葉が上滑りしていく気がする。何でもないようなことを何でもなく書くこと。もちろん書かれたものに何が書かれているかについて読む方は興味を持つのだし、書くことについて書いている、つまり内容としてはまるで何も書いていないようなこういうものを読んでもらっているという事態は、これを読んでいる時間は、どういうものなのでしょうか。とそわそわしてトイレに行きたくなり、席を立とうと後ろを振り返ったら、スマホケースも手帳カバーもかばんもスカーフもヴィトンのモノグラムで、その席はモノグラムの迷彩のようになっていて、ネックレスにもLVの文字がぶら下がっているモノグラムのおじさんが座っていた。その上読んでいるものもヴィトンのカタログで、近くにある路面店に行った帰りだろう。たぶん全身そうなのだと思う。コーヒーはドトールでいいのかこだわりはないのか、それとも問題はコーヒーやお茶する場所ではなくて、とりあえずいち早くカタログに目を通したかったのかも知れない。どうしても滑稽に見えるけれど、身を埋めてしまいたいものにそこまでしっかり埋まりながら息をしていることは容易にばかにできない気もしてくる。トイレから帰って来るとき目が合って逸らした。席に戻って逸らした目をパソコンの画面に戻すけれど、目はその向こうの窓の外、橋を渡る人をぼんやり眺めたがった。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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