寄稿 寄稿

Column/ 惑生探査記

賞味期限

syomikigen

半月ほど家を留守にしていて久々に帰ってきた。日に日に春の増す日差しに促され、半月前は葉が伸び始めたくらいだったベランダのニオイスミレは一気に濃い紫を咲かせていた。顔を近づけると白粉のような粉っぽいにおいがする。3月初旬に蕾のいくつか開いたのを見届けて出たクリスマスローズは満開になっていて、俯きながらも茎はかなり伸び上がり、去年の冬の手入れを怠ったのでちゃんと育たないかも知れないと思っていたばらも葉数を着々と増やしている。不在のあいだに活気づいたベランダの様子にやや浮かれながら覗いた郵便受けの中身は公共料金などの払込用紙が主で、浮かれたものは引き戻される。

冷蔵庫には味噌と酒粕と玉ねぎと、どうしても食べきれなかった納豆1パックと卵2個が残されたまま時が止まっていた。納豆の賞味期限は3月9日で、20日以上過ぎているけれど、開けて様子を見て嗅いで大丈夫そうだったら数字はあまり気にしない。たぶん胃腸が強いので多少のことでは揺るがないと過信しているところもあって、いつか痛い目にあえばこの思い込みを悔い改めると思う。

例えば実家の台所の戸棚の奥に忘れ去られて賞味期限が年単位で過ぎた鰯や鯖の缶詰が出て来た場合にも、そういうものはつまり今後も開封されることなく缶に詰まった魚のまま戸棚に仕舞い込まれ続ける運命にあるので、不憫で持って帰ってきてしまう。缶詰は確か賞味期限が相当過ぎていても大丈夫、と昔テレビで聞いたことがある。
2年物のさんまの味噌煮を開けてみた。缶を開けると猫が走ってくる。猫は普段ドライフードを食べていて猫缶は時々しかあげない。その時々のそれだと思って缶を開ける音をさせるとこの現象が起こる。煮干しをあげてごまかす。煮干しを食べたあとで顔を上げて違うと鳴く。
さんまは見た感じも臭いも問題なさそうなので缶のままコンロの弱火にかけて温める。そのあいだに冷凍ご飯を温めなおし、残り野菜をぱさぱさ切ってみそ汁を作る。缶のままお膳に並べるのはさすがに貧相だったので、器に盛りなおした。
戸棚での永い眠りから目覚めたさんまの味噌煮は、そんなブランクを感じさせない湯気を器から立ち昇らせている。箸をつけても食べ物として平然としている。缶詰の味噌煮の味の安定感は賞味期限2年過ぎていることを悟らせる余地がない。あまりに何事もない。けれど調味された食べられる魚の状態が缶の中で数年も維持されるとはどういうことなのかと思うと、食あたりと別の意味で頭がくらっとする。背骨が実際骨だったこともすでに忘れ去ったように口の中でもろもろ砕けて喉を通っていく。骨の髄まで味噌に漬かり過ぎてこのさんまは海のことなんかもう思い出せないだろう。それでもこれは魚だった、缶の中でいつまで、どこまで魚でいられるのだろうか。銀色の皮フは所々まだ残っているけれど。どこかの海で釣り上げられて加工され、缶の中で眠りについて、死んでから数年経った生き物を食べるのは墓を掘り返すようで、それが現在時の私に混ざり込むのはちょっと妙な感覚になる。胃袋で食物と時差が溶かされて取り込まれる。どこか不気味で愉快でもある。
そんなことを思いながらもひたすらごはんが進むのは、味噌煮の味がとにかく、濃いからだった。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

page top