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Column/ 惑生探査記

あずかり猫すず

suzu

友達の猫をあずかっている。
演劇の海外公演で飼い主が3週間留守のあいだうちにいる毛足の長い女の子。すずという。すずは長い毛のせいもあって手足が短く見え、しっぽも隙間用ほこり取りのような太さで、部屋を横切っていく姿は猫というより申し訳ないけれどたぬきに見える。足の裏の毛も長いので、高いところにジャンプで乗ろうとするとき、肉球のグリップが効きにくいようで、よく失敗してずり落ちている。眉間のあたりを撫でられるのが好きで、みゃ、みゃ、くるる、と短く高い声で鳴く。まぶしいのは苦手なのか顔を手で覆うポーズで寝ていることがよくある。最初の3日ほどは洗濯機の隙間からまともに出てきてくれなかった。手を伸ばすと怒る。近くにキャットフードと水と猫砂を置いてそっとしておくと恐る恐る部屋の中を探険するようになった。猫からすれば初めて来た場所に置き去られて何が起こったのかわからないから怖いに決まっている。うちに来てから2週間過ぎて、ここを居場所として認識したのか諦めたのかそれなりに馴染んだのか、今では布団の足元で毎晩一緒に寝ている。いびきみたいな寝息が聞こえる。居心地よさそうに見えるけれど、やっぱり心のどこかで飼い主を待ったりしているのだろうか。ある夜きらいなかばんの中に入れられた。あのかばんに入れられるといつもろくなことがない。空気のにおいがかわった。いろんな音がする。さらににおいの違うがたんがたん揺れる箱に入った。それから暗い道をしばらく行ってどこかについてかばんが開いた。明るいどこかの知らないにおい。知らない人が鳴きかけてくる。しばらくするといつも一緒にいるあの人はいなくなって、そのまま戻ってこなかった。帰りたい。いつもの布団でいつものように眠りたい。ここには知らないにおいしかない。帰りたい。でも帰れるかどうかわからない。たぶんもう何日も経った。ここでも毎日ごはんはあるし温かいけど、ほんとはやっぱり帰りたい。猫の小さな頭の中に飼い主の姿が、私たちがするように思い出されたり、帰りたいと願ったりしているのだろうかと、すずの金色の目をのぞき込むと鼻が近づいて、猫の挨拶をした。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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