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Column/ 惑生探査記

7月素描

sketch

今年はじめてのそうめんは、たった2分の茹で時間をなめてかかり、ひたひたくらいのお湯で茹でたら、そうめんの持ち味である清涼な喉ごしを見事損ねたごねごねの麺が茹で上がった。氷水に浮かせてみたけれど焼け石に水だった。刻まれた薬味に申し訳がない。そうめんは、泳がせるように茹でないことには夏は来ないのだと思った。

熱くなり始めてからそれまで元気だったエアプランツが急に枯れ、水栽培しているサボテンが腐り始めた。人は蚊ではない虫に点々と刺されてぶつぶつしている。睡蓮は葉っぱばかり伸びて花を咲かせる気配がない。ドライフラワーになったあじさいはかさかさに乾いて、花びらに青い色素が残っている。

近所に気になっていたレストランがあった。家の場所を人に説明すると、あの店の近くかと言われる。一生通い続けたい店だという人もあった。誕生月ということでついに予約をとった。ずっとこのまちにある佇まいの洋食店。料理はボリュームがあって味も確かだけれど、メインについてくるサラダも丁寧で、パンは足りないことのないくらいの量をサーブされ、それにトマトとオリーブのペーストが付いてくるとか、お酒を頼むとサービスされるカナッペにも行き届いた工夫があったり、端々に満ち足りるものがあった。食べ過ぎて翌朝目覚めてもお腹がいっぱいのままだった。胃だけがまだ昨日の夜にいる。久々の胃もたれは体の内部で起こる時差ぼけのようだった。

祇園祭が近づいてきた。町内で祭りに関係する飾り物の保存のための協賛金を募っていた。協力するとお札がもらえる。そのお札は玄関先に貼るもので、近所の家々にも貼ってあり、自分の家にも同じようにそれを貼った。貼ることでなんとなく、お祭りを迎える雰囲気がまちの景色に醸されて、そのムードに加担していることに一種のよろこばしさがあった。

昔から重たい掛け布団がないと足元がそわそわして落ち着かず寝られない。タオルケットという言葉は夏らしくて軽やかでいいと思うしあこがれるけれど、タオルケットでは寝られない。一年中ぼってりした綿布団をかぶっている。

夕立というより最近のはスコールと言った方がしっくりくる。自転車で傘がなくて、小雨になったのを見計らって出たつもりが、ぶり返した雨に下着まで絞れるレベルで濡れて帰った。まとわりついてじっとり生ぬるい服と冷えた露出部。帰って即熱いシャワーを浴びた。水に濡れると妙に疲れる。プールで泳いだあとのような気だるい感じがなつかしかった。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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