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Column/ 惑生探査記

仙台滞在記

sendai

先週まで東京にいて、続きに宮城に用あって仙台に向かった。新宿から昼のバス。窓側で風景をながめていた。埼玉より上の方には行ったことがない。都市部を遠ざかるにつれて田畑田畑田園。彩度の低い冬模様の風景にかろうじて空が青い。福島のサービスエリアで食べたことのないものを探していたら、ぞうりぱんというのがあった。ぞうりのような平たい生地の周りが黒砂糖でコーティングされた麩菓子とかりんとうの親戚という感じでパンではない。素朴かつ甘い。
5時間くらいで仙台に着く。日陰に雪が残っているけれど、普段住んでいる京都からずいぶん北上したのに思ったより寒くない。仙台駅周辺はここ数年で大型店舗やホテルが一気に建ったらしく、駅前のショッピングモールもまだ新しい。滞在先の最寄り駅まで各停に揺られ、向かいに座る人たちの顔と見慣れない心境で対面しながら車内アナウンスの微妙なイントネーションの違いを聞く。
せっかくなので夜は名物の牛タンを食べに行った。席を待つあいだそういえばなぜ牛タン、名物なのは牛の舌のみなのか気になって調べてみた。検索結果によれば、戦後仙台に駐留していたアメリカ軍が牛肉をよく消費したけれど、舌と尻尾は食べなかった。余ったそれらをどうにかおいしく食べられないかと仙台の焼鳥屋店主が今の牛タン焼きとテールスープを考案し、麦ご飯、とろろ、漬物の定食スタイルで提供したのが始まりだという。そういえば以前、仙台土産に牛タンをもらったとき、肉はアメリカ産とあって不思議に思ったことがあったけれど、仙台の牛タンは産地のブランド牛という訳ではない別の事情と工夫の産物だった。ルーツを知るとやみくもに名物を食べるより感慨深く、牛タンは確かに今まで食べたなかでいちばんおいしかった。

翌日震災遺構の荒浜小学校を見に行った。東北に来ること自体がはじめてなので、震災後の風景も映像でしか見たことがなかった。
市街地から海に近づくほど更地の面積が増えていく。海沿いの道ですれ違うのはほとんどが工事車両で、今もあちこちで重機がはたらいている。高い堤防とひょろひょろ生えている松が見えてくる。ところどころ新しい家が建ってはいるけれど町になる手前の密度で、更地の真ん中に黒い石の集結しているのはよく見ると墓石だった。震災から何年経ったか改めて指をおって数えた。
海の近くにぽつんと残された荒浜小学校の校舎は、2階まで波が押し寄せたそうで、棚のガラスに水跡が残っている。水に浸かった1階の教室の天井板をとめてある釘が点々と錆びている。今は片付けられているけれど、直後の写真には校舎に車が突っ込み、教室には押し流された瓦礫が詰まっていた。生徒や地域の人たちが避難していた屋上にも上がることができる。風をさえぎるもののない屋上に海風が容赦なく、5分とその場にいられないくらい寒い。枯野のなかに墓地と寺社の跡、部分的に自生したのか大人の背丈より高い笹のような植物が群生し、さわさわ音がするのが聞こえる。校舎のそばでは新しい防砂林になる幼い松が育てられている。
被災直後の上空からの映像を見ると、校舎の四方は濁流にのまれ、屋上だけ取り残されたようになっていた。今後の見当もつかなくなった景色を前に気の遠くなる不安と喪失に凍える体には、足を運んでも到底追いつかない。けれど更地になったままの現在の風景から、日常の当たり前らしきことのすべてはまったく当たり前ではないと言われているようだった。いくら整地され整備されようが地面は私たちのものではないし、どんなに高いビルを建てても開発が進んでもその足場は本質的には変わらない。覆い隠されて見えにくくなるものの剥がれた生(き)の風景のように思え、本当はどこにいても意のままにならない場所に住まう生き物であることの謙虚さを、普段ことごとく忘れていることに気付かされた。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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