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Column / 惑生探査記

赤飯はじまり

sekihan

コンビニでおにぎりを買うとき選んでしまうのはだんとつに赤飯で、けれど思い返すと赤飯は、何かのお祝い事の折にパックに入って南天の葉が添えてあって、握られているものではそういえばなかった。
ハレの日の食べ物だったはずがコンビニのおにぎりの棚に大概ちゃんと並んでいるし、別にめでたくなくても小銭があれば食べられる。どこのコンビニにでも商品化されているくらいだから、私以外にも赤飯を頻繁にもとめる人は一定数いるのだろう。
つい先日も家に帰り着くより先に空腹に耐えきれなくなってコンビニで赤飯おにぎりに手を伸ばし、このまま赤飯をこんなふうに雑な食欲にまかせて日常に均してしまっていいのだろうかとふと思った。
年配の方と話していたときに、おついたちやな赤飯や、と言われたことがあった。月の初めに豆に働けるようにと赤飯を食べる風習が商家ではあったらしい。そうやってついたちに気持ちを新しくひと月をはじめるのは良さそうだし、シンプルに均質にいろんなことが過ぎ去るよりは、いちいち門をくぐるようなことがあった方が視界もあらたまるような気がした。それでもち米と小豆を買ってきた。1月のついたちはもう過ぎたので、2月1日から赤飯はじまりを実施しようと思う。

初経を迎えたらお赤飯、という風習は20年以上前の私が10代の頃はまだ聞いた。今はどうなのだろう。
ある日何の前触れもなくそれは訪れたけれど、3つ下の妹に先を越されるくらい遅かった。周りの友達も既になっているのに自分の体はいつまでたっても血の気配から遠く、月の巡りに参入した女子たちはどことなくしっかりしていて、それに比べると自分の体は薄っぺらく感じられた。そのことが少し負い目のようにもなっていて、なんとなく母にきちんと報告もしないままひそかにスタートをきってしまった。だから妹の赤飯を食べた覚えはあるけれど、自分の赤飯は食べていない。
気付いたのは学校で部活のテニスの試合が終わったあとだった。自分がまだだということはひた隠しにしていたため、皆がやってるあの、生理用品貸し借りの儀をすべき時が自分にも訪れたことが初経自体より喜ばしかった。
もう何度も同じことを言ったことがあるかのように、余計な緊張をしないよう、ごく自然に、周りにあまり人がいないタイミングを見計らって、仲が良すぎも悪くもない友達に狙いを定め、その台詞を告げた。友達はあるよとやや内密な手つきでスヌーピーのポーチから折りたたまれた白い四角を取り出した。大っぴらに見せてはいけないパスポートを手にした感じで、素早くスコートのポケットに突っ込みトイレに走った。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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