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Column/ 惑生探査記

ばらが咲く

baragasaku

夜、久々にしっかりと水分量のある雨が降った。引っ越してきて最初の雨だった。この家を選んだときから雨漏りはするものと思っていた。横たわっていると案の定雨音に混ざって、パタ パタと滴の落ちる音が聞こえてきた。起き上がって水源を探す。押入れの、かなり隙間があって危うい天井板は一応テープで修繕してあるけれど、iPhoneのライトで照らして見てもどうやら押入れではなかった。布団を敷いている居間に戻り再度耳をすます。エアコンの近くからで、そのあたりを照らしてみると、エアコンの管と壁の接着面から水が漏れていた。なぜどこから雨が入ってエアコンの管から漏れてくるのかは謎だった。気休めに隙間をマスキングテープで貼って寝た。

部屋のなかが徐々に整っていく。
数十年分の油煙で茶色くなっていた台所の天井をベビーブルーに塗り替え、照明器具を取り替えた。シューズラック、ゴミ箱、モスボックス、猫の砂などを届けに毎日クロネコと佐川の人がやってくる。
ベランダには植木鉢を置けるスペースが結構あって、あると増やしたくなる。
去年の夏の終わり、それまで住んでいた家を出ていくことを決めたとき、朝が来る前に育てていた植物をもう伸びてこないくらいの長さに全部切った。すぐにはすべてを持って動けなかったので、その間に枯らすのがいやだった。それに育ててきた日々の風景への愛着を断ち切りたかった。軒先に咲くばらは近所の人たちもささやかな楽しみにしてくれていた。ある朝突然緑色を失った軒先のありさまは異様に思われただろう。大事にしてきたばらも剪定時期ではないときにめちゃくちゃな位置で切ってしまった。それでも結局捨てられず、このあいだまでいたアパートのベランダに置けない分は公園の隅に植えて、鉢のいくつかは今の家まで持ってきた。あのときの引き千切ったようなハサミの跡は苗にそのまま残っているけれど、脇芽を伸ばしてばらは今年もちゃんと咲いている。例年通り最初に咲くのはディオールの香水から名をもらったディオレサンスだった。移ろいやすい紫色もベルガモットを翳らせた香りも変わらない。
梅雨の前にあじさいがほしくなってひと鉢買ってきた。今花屋で売っているあじさいは、梅雨を先取って咲くよう育てられている。路地に植わっているのはまだつぼみが集まってきたくらいなのに、買ってきたあじさいはすでに青く色付きはじめてしまっている。今年は梅雨に入る頃にはもう褪せてしまうだろう。あじさいはそのあと植え替えないと根詰まりを起こす程ものすごい勢いで株が大きくなって、次の年には倍くらいになる。花を終えてすぐの7月〜8月にはもう来年の梅雨に咲く花芽を用意している。来年の梅雨の頃は何を思っているだろうとあじさいを見ながら思う。
一抱えくらいの大きさの陶の鉢がある。それは実家から持って来たもので、ずっと半夏生が植わっていた。水を含んだ泥が重すぎて持ち運べなかったので引っ越す前に空にして、今度はその鉢で睡蓮を咲かせたくなった。園芸店に睡蓮を探しにいくと、赤白黄色の姫睡蓮が売っていた。赤と白で迷ったけれど、ここは凛と咲く白だと思った。引っ越しで散財し、千円でも節約したいところなのに花は買ってしまう。生きるのにパンは必須だけど花もいる。水を張った睡蓮鉢にはボウフラがわくそうで、メダカを飼うと食べてくれるらしい。今度はメダカがほしくなる。メダカのためにホテイアオイも浮かせたい。

この「惑生探査記」は去年の5月から連載をはじめたからこれで季節を一巡し、これから2周目に入る。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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