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Column / 惑生探査記

釜ヶ崎の1時間

kamagasaki

友人から釜ヶ崎にある立ち飲み屋で夜にライブとするという知らせをもらった。歌を聞きたかったので行くことにしたけれど、釜ヶ崎という場所には行ったことがなかった。写真や何かで読んだりした街のイメージしかなかったので、日が暮れた頃にひとりでほっつき歩いても大丈夫なものかと、ライブに行くという友人と駅で待ち合わせて店まで連れて行ってもらうことにした。
待ち合わせは友人の仕事の都合でライブ開始の30分前だった。それだと街を散策する時間があまりないなと思いながら当日、結局待ち合わせより1時間以上早く地下鉄動物園前の駅に着いてしまった。

地上に出ると大通りに沿ってJR新今宮駅の方に歩いた。角にローソンのある交差点があって、大通りに交差する道は、ぱっと見ただけでも雰囲気が違っている。ライブをする立ち飲み屋はその通りをしばらく行ったところにあるようだった。夕方、仕事を終えて戻ってきたタオルを肩にかけたTシャツ姿の日焼けした人たちがローソンの先の通りに流れて行く。しばらく用もないのにローソンに入っておにぎりを眺めたりしながら考えて、人の流れていく方へ行ってみることにした。
ローソンの角より先に進むと一気に余所者になった感じがする。進むにつれて日焼けしたおっちゃん以外の人をほとんど見ないようになり、女の人は黄色い髪のおばちゃんが自転車で通過したのと、直角に折れたおばあちゃんが小型犬の散歩をしているくらいだった。通りの店は間口の狭い飲み屋が多く、やたら目に付くのはコインランドリーでそれから銭湯、一泊1300円と書かれたホテル。まんぷくという初めて見るお弁当チェーン店をこの界隈では何件も見る。
車道は駐輪所を兼ねているように自転車がずらっと並んでいて、車はあまり通らない。西日で隅々から立ちのぼるアンモニア臭がどこの空気にも万遍なく混ざっていて、呼吸の逃げ場がないと思うと先に進む不安が助長され、そのとき前方から白いワイシャツのサラリーマン風の男性が4人歩いてくるのが見えた。それに自動的にほっとしたのに気がついた。私は、あ普通の人がいると思った、身なりがそうだからって何が安心で普通なのかと問う以前に既に思っていた。そうでない身なりの人たちに対して、根拠のない不安を勝手に見て取っているこの目に張り付いた基準の露骨さに、がっかりした。

歩いている途中、フェンス越しの空き地に突然百花繚乱という感じでグラジオラスなどの鮮やかで背の高い夏の花が咲き乱れている花壇があって、中に入って手入れをしているおっちゃんがいた。
西成警察署を越えて、外壁のコンクリートが黒ずんで重たくそびえる市営住宅などを横目に、小さな商店街を抜けていく。道幅が狭くなってすれ違う人との距離が近くなり、さっきから感じてはいた視線がより刺さる。
その時あてもなく歩いていたのではなくて、Googleマップで歩いていけそうなところにあると知った飛田新地をめざしていた。飛田について書いている本を読んだことがあって、少しでいいからその場所を見てみたかった。
商店街は主に飲み屋で、うどん屋、古道具屋などもある。外にカウンターのある店の、カウンターの上には生魚が入っているガラスの冷蔵ケースがあり、そのまた上にはやせた黒猫が乗っていて、猫の正面に座って飲んでいる人がいる。
商店街を抜けたところの道端で、何かこまごましたものを売っているおっちゃんの、おねえさん女優さんみたいやなあというサービスに視線を返す余裕もない。ああと思いながら前方の騒々しい気配に視線を上げると、ピンクや緑のネオン管で、派手さで言えば最近の控えめなパチンコ屋を鼻で笑うかのようなスーパー玉出があらわれた。
ちくわや食パンみたいな日常的な食べ物を買うところにこの極端な、非日常的演出がなされていることについて考えてしまう。
誰もがあたりまえのような日常らしさを維持するということの、あたりまえのような困難さ、この地域に限ったことではなくて、日常を維持し続けるということは、あたりまえでも何気ないことでもなく、本当のところかくもはげしい夢である、と玉出は言っているようだった。
髪だけきちんと夜会巻きにセットしたジャージ姿の女の人が買い物袋を提げて、前後ろに子ども用シートを取り付けた自転車に乗って帰って行く。

そこからしばらく歩くと飲み屋の数が減って、古い一軒家が軒を連ねる静かな一帯に出た。提灯が下がっていて、飛田新地周辺まで来たのだとわかった。
路地をちょっと覗くと、表の引き戸が開け放たれている様子が見えてはっとした。蛍光灯で白く浮かび上がっている赤い絨毯、ぬいぐるみと造花、上がり框には、上がり框には誰も座っていなかった。それを一目見て引き返した。

ぬいぐるみと造花と並んで蛍光灯の白い明るさに陰影は飛ばされ、そこに座るのは生身の女性だけれど、あんまり血の気を感じる人らしさは非日常を買いにくる客にとっては余計なのかも知れない。手の届かない高貴さではなく、触れそうな、幾分ものの質感を帯びた、触れる高さの非日常の敷居の上に、見ることのなかった姿を歩きながら思った。
帰りは大体の方向はわかったと地図を見ないで来た道とは違う道を勘で歩いたら、思ったところと全然違うひと気のない高架下に出て焦り、最終的には小走りで待ち合わせの駅に戻る道を探した。やっと最初の大通りに出た頃夕立が降り始めた。シャッターの閉まっている軒先でおっちゃんふたりと並んで雨宿りをしながら時計を見ると一時間経っていた。
待ち合わせにやってきた友人の顔を見ると急にお腹が空いて、ライブのあった立ち飲み屋の煮詰まった味の濃いどて焼きが、とてもおいしかった。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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