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Column/ 惑生探査記

メイプルソープとソフトクリーム

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毎年この時期京都ではKYOTOGRAPHIEという国際写真祭が催されている。約1ヶ月のあいだ、市内にあるギャラリーや寺院、普段は非公開の歴史ある建物などに点々と国内外の写真家の作品が展示されていて、パスポートを買うとその全部を見ることができる。パスポートは期間中有効なので時間の隙を見つけては、今日はこの徒歩圏内を攻めよう、というふうに毎年巡っている。
去年の展示では、はじめて自分で写真集というものを買った思い出のサラ・ムーンを久々に見て、根本的な好みは高校生の頃とそれほど変わっていないことを確認し、一昨年はそれまでまったく知らなかったロジャー・バレンという写真家の作品に電撃的に出会い、惚れ込んで買った写真集は今も時々眺めている。

KYOTOGRAPHIEは見る人によってそれぞれ異なる順路を辿ることになる。連続的に見ることでその前後の印象も連れて歩くわけだから、同じものを見てもどこから来てどこにいくのかによって、受け取るものも微妙に違うだろうと思う。
今年の展示にロバート・メイプルソープの作品があった。著名な作家であるし、写真集で見たことくらいはあって、リサ・ライオンの鍛え上げられた肉体は忘れられなかったけれど、取り立てて好きという訳でもなかった。
けれど写真集を眺めるのとプリントに対面するのとは同じ見るでも違う。特にチューリップを撮っている写真には圧倒された。白と黒のコントラストと構図の緊張感のなかに捉えられた一瞬には、1ミリも動かしがたく永遠に残存する美しさ、というような言葉で言いたくなる絶対的な強度が与えられていた。花はその後枯れたに違いないけれど、そんなことを想起させないくらい、ひとつの形状として定着したものの永続性が勝っていた。何か、完璧というものを見た思いだった。赤白黄色が並ぶプランターのチューリップはにぎやかすぎて遠巻きに視界に入れるくらいだったのに、その花の印象さえ少し変わった。自分の目では見られなかったものを、他者の視線を介して見られたものから、見知ったものの見知らぬ姿を知らされる。

会場を出ると昼過ぎの太陽が街の全面を隈無く照らしていて、汗ばむ陽気だった。室町通から歩いてすぐの元・新風館に向かって烏丸通に出ると、ミニストップが見えた。最近できたのだと思う。ミニストップと言えばソフトクリームが思い浮かび、アスファルトの照り返しに足元が浮かされて、気付けばレジの前だった。店員はたぶん入ったばかりの不慣れな男の子で、慎重に作られたソフトクリームはかなり標高が低かったけれど、店の外にテーブルと椅子が置いてあって日陰でありがたかった。メイプルソープとソフトクリームは語感が似ている。どちらにも甘みとホイップ感がある。メイプルソープ/ソフトクリームと何度かつぶやいてみた。つめたいバニラに舌が冷える。

新風館はこのあいだまで商業施設だった。外側は残っているけれど内装工事は途中段階で、コンクリート塀があらわになっている。2階にあったレストランのスイーツが驚くほどイマイチで気まずかったことや、あの辺にビームスがあったなと思い返す。
廃墟の一室に吉田亮人という写真家の、従兄弟と祖母を撮った写真が展示されていた。従兄弟は生まれた時から祖母と一緒に暮らし、成人以降も80歳を超えた祖母の介護をしながらふたりで生活していた。写真家はふたりの生活風景を追い続け、従兄弟と祖母は家の中で寝転がったり、食事したり、お風呂に入ったり、ふざけて笑ったりしている。そんな写真の様子からは、ふたりのあいだに結ばれていた日々のおだやかで温いものが感じられる。けれど23歳になった従兄弟はある日突然姿を消し、約1年後に山中で遺体となって発見された。失踪の動機も死の理由も不明のまま。祖母は待ち続け、従兄弟が発見されたしばらくあとに亡くなっている。
そういう物語を背負ってしまった写真を、その背景から切り離して見ることは難しい。写っているものを介してそこに写っていないものと、背後の時間に想像を及ばせようとしてしまう。けれど写っているふたりはそれ以上何も語らず、見る者は写っているものと起こったことの断絶を前に立ち止まるしかない。宙づりにされた心境になる。見ながら泣いている人もあった。
写真には切り取られたふたりの像と、まるで重ならない物語が二重写しになっている。それは作家の意図を越えた写り込みで、重ならずブレ続け、見る者に揺さぶりをかける。写真を見るとは一体そこに何を見ているのか、という問いが浮かんだ。
ついさっき見たメイプルソープの写真に感じた、その他の可能性や写真が撮られた背景を想像させない隙のなさ、物語を受け付けない1枚の強靭さとは異なる写真のありようで、それが写真でありモノクロであることくらいは共通しているけれど、受け取るものの質が真逆と言っていいほど違っていた。作品受容のコントラストで脳内がハレーションを起こし、ちょっとチカチカしながら歩く帰り道、iPhoneで撮った地面。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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