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Column/ 惑生探査記

黒豆

kuromame

正月遠ざかるにつれて冷蔵庫からタッパーが減り、味噌卵納豆牛乳のいつもの様相に戻っていく。祝い箸を使うのは7日までだけれど、麺類を食べるとき滑らなくていいからとっておく。はりきって1袋250g全部炊いてしまった黒豆はパウンドケーキに混ぜて焼いたりしてもまだなくなる気配がない。黒豆の煮汁は牛乳で割って温めて飲むとおいしい。
数人の来客があった夜、日付の変わった頃に流しに溜まった皿やグラスを洗って拭いて空いたビンをゆすぎカンを潰す。普段よりずっと量の多い洗い物の台所が片付いて器が食器棚の所定の位置に戻ったときのひと仕事終えた感。
ついさっきまでの騒がしさが去った部屋は静まりかえっている。姿と音声が消えてもまだ気配が舞っているようで、いつものお香に火をつけて沈静化を試みる。お茶を淹れてあまり耐性のないアルコールで浮いている胃を静める。
状況によるけれど、4人以上の人が集まる場所に居合わせるとほとんど言葉が出なくなることがある。そのまま場の雰囲気をチューニングし損ねて何時間か過ごしていると、それほど仲が良かったわけでもないのになぜか招かれていった幼稚園の友達の誕生会の風景が思い出される。
6人くらいのさほど仲良くない女の子たちとうす暗い居間の座卓を囲んで座っている。頭上には折り紙で作った輪かざりが吊ってあり、中央の白い大皿いっぱいにピンク、黄色、緑、色とりどりのプチフールが並んでいる。そのにぎやかな色に反比例するように早く帰りたくて泣きそうになるので、そうでなくケーキの楽しげさを自分に乗り移らせようとしながら耐えていた。取り立てて何かいやなことがあったわけでもないし、来たからにはちゃんと祝いたいと思ってはいる。でもその場の雰囲気にどうしても乗り込めない。何が楽しいのかわからない。まなうらでプチフールの色とりどりが点滅し、そんな回想にかかずりあっていてはますます話されていることについていけず、悟られないようその場にいることを成立させるための頷きや笑いの幅と頻度を調整する。涙腺が過去に留めたもののことを思い出し、あのときのやつ今流してもいいですかと腺を弛ませようとする。端から見れば脈絡なく泣きだすわけにもいかないのに、にぎやかな場で真逆の心境になるということがよくある。未だそんな事態に陥って、場違いな態度をあらわにしないために疲れている自分に疲れる。
年が明けてまたひとつ年を重ねていくのだけれど、黒豆を艶よく炊けるようになっても、そういうまったく発育しないものも連れて歩いている。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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