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Column / 惑生探査記

House Houser Housest

hikkoshi

引っ越しを考えていて、賃貸物件情報をよく見るようになった。間取りの図と室内写真を眺めながらまだ見ぬ家、そこで生活することをイメージしてみる。

駅から徒歩何分、二口コンロが置けるか、セパレートか、洗濯機置き場、収納、日当たり、ベランダ、敷金礼金、更新料、家賃の上限、そして何より猫可物件かどうか。
不動産屋に行って猫がいますと伝えると表情がやや曇る。何匹ですかと聞き返されて2匹いますと答えたら、2匹かーと不動産屋は悶える。
ただでさえ少ないペット可物件。可となっていても小型犬のみ可とか、猫も1匹だけとか、2匹というだけで住める家はほぼないような事態になるらしい。それで不動産屋は、その猫2匹って似てますか?と尋ねた。1匹は子猫のときにもらってきた灰色の縞で、もう1匹は数年前近所に迷い込んできたのを梅雨の前に放っておけなくなって家に引き入れた斑ら猫。2匹は猫であることを除いて全然似ていないのでそう伝えると、もし似ていたら1匹ということで入居して、仮に運悪く窓際で2匹日向ぼっこしているところを大家に見られても、似ていたら見間違いだ錯覚だ1匹だと言い訳する余地がありますから、とのことだった。そんな猫だましが通じるものだろうかと思いながら、苦肉の策を考えてくれる不動産屋への好感度は上がった。
不動産屋と車で物件候補をめぐる。
隠し場所から鍵を取り出し、何もない部屋に足を踏み入れる。抜け殻になった生活の冷えたにおい。入ってみればここじゃないということはすぐにわかる。だからきっとここだという部屋もすぐにわかるけれど、それはなかなか見つからない。

十年暮らした家の、ほとんど無意識のまま自転車をこいでいても着いてしまうくらい体に馴染んだ帰り道、見慣れていちいち風景と言うこともなくなった景色。馴染んだ場所から遠ざかるとき、馴染んだものを改めて眺める目、意識のフレームが組織される。それはカメラ越しに見るときに似ている。自分の居た場所が見える。「居た」場所という過去形にして、見る。「居る」ときに自分はそこに居るので近すぎてよく見えなかった。とある自分の居場所、世界の片すみに間借りしてある期間、縁あって住んだ場所。家がそこに、あった。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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