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Column / 惑生探査記

火の手

hinote

夜、消防車が立て続けに4台くらい近くを通ってわりと大きな火事と思っていたら、窓の外が赤いランプでチカチカして人のざわめきが聞こえ出した。まさか引っ越したばかりのこのマンションの一階にある飲み屋からじゃないだろうなと窓を開けて下を見ると、消防車がホースを伸ばしている。でも火は一階からではなくて、別の方向から煙があがっているのが見えた。すぐ近くの家が燃えているらしかった。
霧のような細かい雨が降って外は年末らしく冷えている。降りて見に行ってみると、隣近所の住人たちがスウェットにつっかけなどを履いて寒そうにしながら同じように集まっている。民家の密集した住宅街の一軒、白い家の隙間から炎が漏れていて、ものすごい量の煙がのぼっている。銀色の消防士がふたり隣の家のベランダからホースで家の中の火を消している。夜の暗さとトーンの違う黒煙が夜闇に混ざっていくのを見上げていたらひとりのおっちゃんが人々の溜まり場になっていたガレージで「見せもんちゃうで、野次馬帰れや」と叫んだ。

うちに帰って部屋のドアを開けると煙のにおいがしている。閉め切っているはずなのに玄関や窓の隙間から煙は侵入してくるらしく、誰かの生活の燃えたそのにおいを呼吸しているとなんとなく不穏な気持ちになってくる。たまたま昼間に買ってきたお香があったので火をつけて煙で煙をなだめてみた。
湯船にお湯を張ったらお湯が少し茶色く濁っていた。消火活動のために水道管が非日常的な容量で使われたなどの理由で錆が剥がれて流れてきたのか、と想像したけれどなぜなのかはよくわからない。
台所の流しからは濁りのない水が出た。お茶を淹れようとやかんに水を汲みガスコンロに火をつける。五徳の上でおとなしく燃えている火は煮炊きのための従順な中火の顔をしているが、実際のところ火というものはその気になればこの部屋も私も燃やすことなんか造作もないのだった。五徳に座した火は火事の火とは違う青をまとって水に熱を手渡している。水が熱に耐えきれなくなって踊りだす。その勢いでほうじ茶を淹れる。
日付が変わっても無線でしきりに何かを連絡しあっている声が外から聞こえていた。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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