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Column/ 惑生探査記

襖の張り替え

fusuma

引っ越して以来、襖を張り替えたいと心のどこかでずっと思ってはいた。もともと張ってあるのは、引手のところに紺色の帯が入っている紺手引帯という襖らしい柄で、特にそれが気に入らない訳でもない。遠目にはきれいに見えるけれど、近くで見ると何の飛沫なのかわからない茶色い液体の跡が引手より下の白地全面に散っている。それは例えばコーヒーやお茶をこぼしたというよりは、細い管のようなものを切って中を流れる液体が勢いよく飛び散ったような、細かい飛沫の跡だった。その下の畳はわりと新しく何の痕跡もないけれど、もしかするとこれは血飛沫なんじゃないかと引っ越してすぐの頃は疑っていた。舌先をちょっと噛んで痕跡の横に少し血を付けて乾いた後色を比べてみたりしていた。それほど神経質でもないのにそんなことをしていたのは、この部屋の戸棚の奥から某組の組長の名刺が出てきたせいもあって、流血沙汰でもあったのではないかと妄想したからだった。それに4枚の襖のうちの1枚は内緒で連れ込んだ猫に破られているし、遅い桜も満開の春の陽気に誘われて、襖を張り替えてみる気になった。
歩いてすぐのところにホームセンターがある。朝の6時から開いていて、大工さんたちが現場に行く前にそこで必要な物を買って行くらしい。だから建築資材の数は豊富だけれど園芸コーナーはない。襖紙の売り場には切手のように濡らして貼る再湿タイプ、粘着シートタイプ、アイロン接着タイプなど部屋をのりでべたべたにしなくて済む便利でよさそうな商品がいろいろある。いちばん簡単そうなのはアイロン接着タイプで、これなら枠を外さないまま貼付けられる。けれどせっかく襖を張り替えるなら枠は外してみたかった。面倒に思うのはのりだから再湿タイプを張ることにして、刷毛やバール、スポンジがセットになっている襖張り替えセットと、白のエンボス加工になっている細かい不規則な格子模様の襖紙を2巻抱えて家に戻る。
必要そうなものは揃ったけれど、やったことがないので何もわからない。とりあえず動画を検索して手順を見る。まずは枠を外す。襖は上下それぞれ2カ所だけ釘が打ってあるので、まず上の枠を持って少しゆすりながら引っ張り、出来た隙間にバールを差し込んではずす。下も同じようにはずし、両横ははめ込まれているだけなので端を金槌で叩いてずらすと簡単に外れる。次は引手の部分。引手は上下に1本ずつ釘が打ってある。襖と引手の隙間にバールを差し込んで少し浮かせ、釘の頭が出てきたらペンチで引き抜く。襖紙は3枚くらいなら剥がさずに上から貼っていいらしい。今の襖の下もう1枚古い紙が貼ってあるのがわかった。いつ張られた紙だろう。新しい襖紙をサイズに合わせて切る。巻き癖のついた大きな紙を扱い慣れないので何度も巻き戻る紙に地味に苦戦しながらなんとか切って、水を含ませたスポンジでのりの付いた面を濡らしていく。湿した紙は水を吸って伸びる。そこへ襖を乗せてひっくり返す。襖を乗せて、と簡単に書くけれど、狙った位置にひとりで襖を乗せるのはなかなか難しい。どこを持ってどう置くのがいいかと妙な中腰の体勢で、身の丈より大きな長方形を抱えて困りながらしばらく右往左往する、という動作を含んでいる。刷毛を使いながら表面のシワを軽く伸ばし、後は四方に余った紙を切って側面をきれいにしたら乾かす。貼ってすぐはうまくいったかどうかわからない。刷毛でシワを取っても紙自体は水で伸びてたわんでいるので所々浮いている。動画では乾くとピンと張ると言っていたけれど、あらゆる工程で手間取ったのでうまくいった気がしない。とにかく乾くのを待つ。
数時間後、紙はみごとにぴったり襖に張り付いて、襖になっていた。私の腕というより紙と水の仕業という感じがしたけれど、うれしくなって急いで枠を取り付け、引手をはめ込む。引手の釘が金槌ではものすごく打ち辛い。動画に出てきた引手釘打ちという道具は襖張り替えセットに入っていなかったから、なくてもなんとかなるのかと思っていたけれど、むしろ必須アイテムで、襖張り替えセットに引手釘打ちを入れていないのは手落ちではないかと思う。またホームセンターに走る。この引手釘打ちというちょっとした道具が如何に素晴らしいかを襖を張り替えた人は思い知るだろう。
要領を得た2枚目以降は早かった。
こうして無事部屋の襖は張り替えられ、部屋はワントーン明るくなって春を迎えた。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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