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Column/惑生探訪記

キュンチョメ「完璧なドーナッツを作る」

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昨年の12月たまたま東京にいて、人に連れられるがままトマト缶をたずさえて教会に行った。
何かの展示があるらしくトマト缶は入場料のようなものらしい。というくらい前情報のないまま駒込の駅から歩いてカトリック本郷教会にたどり着いた。

中に入ると2階フロアにはすでに他の来場者によって持ち込まれたトマト缶がたぶん100個以上積み上げられており、中にはパスタなども混ざっていた。トマトタワーの横には皿があって、ボール型のドーナツが盛られている。フロアにはほのかに揚げ油のにおいが漂っていて、ドーナツを取って食べている人もいる。トマト缶を持ってきたら食べてもいいようだったので、ひとつ食べてみた。まだあたたかい。
教会での展示は映像作品の上映だった。上演開始まで時間があったので礼拝堂を見学する。普段来ることのない場所。寺や神社には参ることができるけれど「祈る」はどうすればいいのかわからない。祈るあてなく祭壇を眺めて、聖歌の本をパラパラめくってみる。ここに通って歌ったり祈ったりしているうちにあの磔の姿は私と共にあり、特別な意味を持つものになるんだろうかとぼんやり座っていた。

上映されたのはキュンチョメの「完璧なドーナッツを作る」というプロジェクトの90分くらいのドキュメンタリー映像。「完璧なドーナッツを作る」は沖縄で行われたプロジェクトで、沖縄のドーナツであるサーターアンダーギーとアメリカの穴の空いたドーナツをそれぞれの土地の住人が作り、フェンス越しに合体させて穴のない「完璧な」ドーナツを作りたいと沖縄に暮らす様々な立場の人々にインタビューして、それについてどう感じるかを聞いてまわる。インタビューされる人はふたつのドーナツを手渡され、どう思うかと問われる。質問し返す人、複雑な表情を浮かべる人、賛成反対を述べる人、どちらかが割れなければならないと手にしたドーナツをバラバラにする人。
基地に反対か賛成か、という直接的な問いかけではないからこそ引き出せる言葉や表情やしぐさが映し出される。対象は少しずらされつつ、問いへの答えはどこか核心に触れざるを得ない。問いの中の「穴」や「完璧」という、どういう状態を指すのかはっきりしない概念が、答える人によって補足されていく。それ自体一様ではない。

数年前、沖縄市コザを訪れる機会があった。宿泊先からは嘉手納基地が近かった。泊まった宿はもともとは米軍関係者や家族の宿泊者向けに建てられたコザで一番古いホテルで、当時バスタブが沖縄にはなかったらしく、浴槽までタイル張りで作られた独特な浴室が印象に残っている。
コザが最も賑やかだったのは米軍の出入りが頻繁だったベトナム戦争の頃で、戦地から戻り疲弊した兵士の一時休暇の地になっていた。酒や薬で羽目を外した兵士による犯罪も多発したが、事件が起きても加害者が本国に帰されてうやむやに終わることが多く、米軍統治下の沖縄で沖縄の人々は、日本の憲法もアメリカの憲法も適用されない不安定な立場におかれていた。あちこちに潮風で錆びて色褪せたスナックの看板が見られる。基地のすぐ傍の営業しているバーを覗くと空軍の軍服姿が垣間見える。
フェンス越しを延々歩いてみた。想像以上に広大な面積で、フェンスには「軍用犬により巡視されている」と警告が貼り付けられている。フェンスの中のには海外ドラマで見るような住宅地があり、運動場もあり、短パンでランニングする金髪の女性、鳩はフェンスの中の芝の上で何かを啄ばみフェンスを越えて飛んでいく。
沖縄在住の人に話を聞くと、基地に関しては家族内でも年齢が違うと意見が噛み合わないことがあり、話すと喧嘩になるので選挙の時間もわざとずらして投票所に行ったりするという話を聞いた。

映像作品のインタビューでは、生まれたときからあるので基地のある風景がむしろ当たり前で、宜野湾市の普天間基地近くで生まれ育った人は、子供の頃ロケット花火を飛んでくる戦闘機に向かって放ち、米兵もその子たちに手を振っていたようなやりとりもあったとか、10代の頃にはすぐそばにあった異国の文化に憧れた、スナックに通ってきていたけれど戦地から帰らなかった兵士も少なくなかった、自分の父親は兵士であったし基地をなくすのは寂しいという意見、基地と関わりのある職業で、経済的な事情があって基地を受け入れるという人もいる。
過去に何度も起きている米兵による強姦、殺人事件、戦闘機の墜落事故など、すぐそばにあるものに生活を脅かされるという看過できない問題も当然ある。けれど同時に基地があることから形成された街の様相や人の暮らしがあることも事実で、事情の狭間で文書には残らないような人々の交流があったことも知る。
賛成にせよ反対にせよ、実際基地のそばで生活する人々のためらいや複雑さの含まれた、ニュースで切り取られるものとは質の異なる言葉を「完璧なドーナッツを作る」からは受け取ることができる。
見終わるとでは自分はどう考えるか、ということが自ずと返ってくる。ともすれば遠目で見てしまいそうになる基地問題を、自分の住んでいる国の問題と見る目を放さずにいるにはどうすればいいだろう。私は普段SNS等で政治的な発言を積極的に行っていない。けれど、どんな事情があったとしても、住んでいる国に他国の軍事基地はない方がいいし、現在問題になっている辺野古の海上基地建設にも、特にそれが強行姿勢で実施されようとすることを、どう考えても良いと思えない。 反対、とまず言葉にすることから始めてみる。

嵯峨実果子
1983年京都生まれ。詩人、文筆家。 「ミことば」で平成27年度第33回 世田谷文学賞 詩部門受賞。趣味は芳香植物の栽培と観察。 mikakosaga.tumblr.com

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